ダンシング・ファインド・イッツ・グルーヴ・エクストリーム
読者の皆んな、元気かいドイツ・ライプツィヒ在住のプロ・ロングボーダー「Peter Markgraf・ピーター・マークグラフです。
俺はロングボードでのダンシングが一番好きなんだ。その理由はダンシングは実に多面的であり、無限の可能性を秘めてるからなんだ。方向性やルールなどに一切決まりがなく、アナーキーなスタンスなのが気にいってる。坂なども必要なく、いつでもどこでも出来るのも良いよね。
外に出て、自分が好きなポイントを探しに行こう。それが公園であろうと、駐車場だろうと構わない。ヨーロッパでダンシングが盛んなのも、このように何処ででも楽しめるからではないだろうか。
ヨーロッパでダンシングが盛り上がった理由を説明するよ。もちろんダンシング目線でね。
1960年代はスラロームとフリースタイルが全盛期の時代。当時ほとんどのコンテストはマークされた下りコースをスラロームでクリアするタイムレースとフリースタイルで、フリースタイルはフラットランドとも呼ばれていた。ライダー達はコースを把握し、ウィーリーなどのアクションや他にも様々なトリックを盛り込みながらスラロームでコースを進んで行った。そう、現在のフリースタイルに近い形が既に完成しつつあったんだ。
しかし、1975年 Del Mar Nationals(デル・マー・ナショナルズ)のコンテストにて、アグレッシブなライディングで観衆を魅了した Zephyr(ゼファー)の登場により、このトレンドもあっけなく終わりを迎える。(注:Dogtown and Z-Boysは当時の様子を知るに最適な映画だ)
以降、ほとんどの人がプールでのスケートや、平な路面でライディングに夢中だった時代、一人の男がフリースタイルというジャンルを確立しつつあった。
その男の名前はJohn Rodney Mullen(ジョン・ロドニー・ミューレン)で、80年代初頭には、すでに現在のスケート・スタイルの基盤となるスタイルを完成させたと言えるだろう。
ダンシングという呼び方が初めて使われたのは2000年になってからであり、Adam Colton (アダム・コルトン)とAdam Stokowski(アダム・ストコウスキー)がボードウォークと定番のトリック(マニュアルなど)を混ぜたスタイルを定着させ、これが現在のダンシング、そして近代のフリースタイルのルーツだと考えられる。
その後、彼らの作ったビデオがヨーロッパで大きく取り上げられ、多くのライダーに影響を与えることになった。
これを機にヨーロッパで最初のロングボード・ショップがオープンし、続いてコンテストなど開催されるようになり、ロングボード人口は一気に爆発した。俺は5年前にベルリンで始めたんだけど、当時の俺は、いつもの場所にいつも集まる連中の中の一人で、集まってはセッティングの話やインターネットで見た新しいトリックの事などを語ったりしていた。夜の街に繰り出しスケートしたりお互いをサポートしあった時代だね。
当時、南ドイツではダウンヒルが盛んだったけど、俺達のいる北ドイツには大きな峠はほとんどなく、思うような練習も出来ない。だから自分たちが得意とするスタイル(ダンシング)を貫く事にした。
持論だが、ロングボードを始める際、最初はクルージングやダンシングなどを練習したほうが、ボードとの一体感を築けると思うし、最初は他のライダー達とも沢山交流したほうがいい。良いアドバイスがもらえる事もあるし、別な発想を思いつく事もある。
ヨーロッパでは年々ロングボードの人気が上がってきており、オランダの Eindhoven(アイントホーフェン)では特に盛んで、ドイツでも大きなフリースタイル(ダンシング)のイベントが開催されるようになってきた。
更に交流を広めるべく、俺たちはロード・トリップに出た。違う国に住む、違う人種達はどのようにスケートしてるのか、どんなトリックを知ってるのか、彼らはどこからインスパイヤーされてるのか、考えただけでワクワクした。
最初のロードトリップは、友達とバスをレンタルし、パリで開催されたTang Tang (タンタン)コンテストへと向かった。パリの事など全然知らなかったし、下調べもなにもしなかったけど、とにかくエキサイトしてたのを覚えている。早朝、エッフェル塔の近くでモーニングコーヒーを飲みながらスケートに乗ったんだ。
コンテストが始まり、すぐにフランス人のスタイルが独特である事に気がついた。ピザ・ベーカーという手を使うトリックなど、それまで見てみたものとは全然違う。
オランダ在住で背が灯台よりも高い僕の友人も48インチのボードを携え、このコンテストに出た。彼らはストリート系のトリックを軸にパフォーマンスを決めていたんだが、住んでる地域によりスケーティングがこんなに違う事にとても興味深かった。
ヨーロッパには47の国がある。言語も24種類ある。何千キロも離れた、違う国に住む人々が集まり、共にスケートボードを楽しむ。同じパッションを持つ者同士が繋がる「夢」のような事が実際に起き、自分がその場に立ってる事に歓喜した。
去年はロードに出て、多くの人に会い、沢山の人とスケートボードに乗る事で多くの事を学ぶ事が出来た。自分の誕生日にはマドリッドへ行ったんだが、道でスケートボードに乗ってるだけで、沢山の素晴らしい人達との出会いがあった。自然に会話が弾み、一緒にスケートボードに乗る。この時の様子をビデオに収めたので、沢山の人に見てもらいたい。
これを読んでる君達に、トリックを組み合わせる事で無限の可能性を秘めているダンシングがいかに興味深いか、一緒にスケートをしながら伝えたい。基本的なトリックを知ってるだけでも様々な可能性に繋がるんだ。ダンシングほどファッキン楽しいもんはないぜ!
この記事はConcreteWave Nov 2015 Dancing Finds its Groove の抄訳です。