遠く離れた道から・エクストリーム

by Andreas Nout Schmidt

Notes from distant roads / 遠く離れた道から

by Andreas Nout Schmidt

日本の本州北部に位置する青森。人里離れた田舎の奥へとスケートボードで進むと、そこには深い森、そして沢山の川があった。

ここ東北は人口も少なく、山々に囲まれた自然溢れる場所。このような素晴らしい所で、小さな村から村へと気ままにスケートで移動するなんて、これ以上にない至福の時ではないだろうか。唯一、心配の種があるとすれば、毎晩「どこにテントを張るか?」程度だが、それは大した問題ではない。

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観光案内所に相談し、次の村まで一番安全と思われるルートで移動する。道中で事故にあっては元も子もないからだ。急勾配でカーブの多い日本の田舎道。問題なくクリア出来る自信はあるが、車一台がギリギリの細い路面の穴を避けながら滑る事はさすがに危険すぎる。

15年間も日本に来る事を夢見てようやく日本に来れたのだ。事故を起してはならない。安全第一だ。

田舎道を抜けて道が広くなると、自分の数インチ横を大型トラックが猛スピードで抜いていく。自分の直感とこれまでの経験に頼りながらなんとか弘前に辿りついた。

思っていた以上に大きな街で、見渡す限り開拓された市街地だった。僅か彼方に見える山を目指してさらに東に進む。

少しずつ自然が増えてきた。人々の生活の気配が消えていき、峠は高く、同時に街も小さくなっていく。周りには木々が生い茂り、交通量は極端に減る。

秋の日差しが楓の葉を明るい赤と黄色に照らす美しさは、夜には光を放つのではないかとの錯覚に捕らわれる。アスファルトの上を走るノイズ、小鳥のさえずり、そして、近くを流れる小川のせせらぎがBGMだ。

道を進むとやがて勾配はキツくなり、息も上がってくる。軽い他のボードで来れば良かったか、いや、街を抜ける際にテールキックは必要だ。

スケートに乗ると筋肉がリラックスし、背中の痛みも自然と和らぐので、つい時間を忘れてしまうが、民家から遠く離れた場所まで到達した頃には、あたりはすっかり闇に包まれた。気温も下がる。

15キロのバックパックを背中に背負い、首からはカメラを吊るし、自家製のカメラ用マウント(1.5キロ)を常に握りしめての移動は決して楽ではない。そう、楽しむ事は楽な事ばかりではないのだ。

これらの装備で減速する為のスライディングは自殺行為に等しい。足を地面につけブレーキの役割をさせるフットブレーキで減速は出来るが、バランスを取る為に両手を広げた姿は、サーカスのバランス芸を強風の中で行っているように見える。

さらに靴底も激しく消耗するから、左右を均等にするにはブレーキングに使う足もスイッチする必要がある。

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そんなこんなで1週間近く移動し続けようやく遠野に到着。遠野は伝統芸能などで有名な街。後半は荒れて雨と風でひどく疲れ、夜遅くの到着になり、どこのホテルも満室。途方にくれホテルのロビーの椅子に座っていると若い従業員が声をかけてきた。

彼はスケートボードに興味があるようだ。彼に限らず、今回の旅では多くの日本人が沿道からの声援やサムズアップを与えてくれた。皆スケートボードで長距離を移動する行為そのものに驚きを隠せないようだった。

ロビーで声をかけてきた青年は、「自分も5年間スケートボードに乗ってる」と教えてくれた。こんな田舎町にもスケートボーダーが居る事を認識、そう言う私も、牛の糞が道に普通にある田舎町で育ち、その糞を避ける為にオーリーを習得したのであった。

夜の仙台で他の青年とも知り合った。彼は、私の汚れたグリップテープも無いクルージング用のボードで高さのあるオーリーを軽く決めた。

日本のほぼ真ん中で、日本海側に位置する金沢の街へは疲れた体を休める為、電車で移動。その後、金沢を海沿いを90マイル(約144キロ)進み、そこから内陸側に同じく90マイル(約144キロ)進んで京都に到着。

私のようなベルリン出身者に京都の美しさはショッキングだ。ゴミが落ちてない事にかなり驚くのだが、道行く人々はこの美しい街並みを無関心に通り過ぎていく。

ここで知り合った一人の日本人男性は2年間オーストラリアに住んでそうで、彼がオーストラリアから戻ってきて気がついた事は「京都で生きるという事は、まるで博物館の中で生きてるような感じだが、皆んな平然と暮らしている」と話してくれた。

「スケートボーダーはどうだい?」と聞いてみた。何故か、ストリートのスケーターは環境に囚われない習性がある。男性はニヤリとし「彼らは頑張ってるよ」とだけ答えた。

今回の旅を振り返る。

私は何処でも親切にされ、特に年配の方々は私に興味を持って見てくれたように感じる。それと、日本の生活は、内面および外面、両方の「清潔感」を大切していると感じた。

それゆえか、日本社会でスケートボードはアウトローな位置にあり、反逆のイメージを拭えていない。公道の走行も認められていない。たまたま私が出会った人たちが良い人達で、親切に応援してくれただけなのかもしれない。

スケートボードが日本の抱える一部のストレスに新鮮な空気を送り込む事を願う。

この旅では、僅かしか知らない日本語を出来る限り話すよう心がけた。その性か、本州北側や静岡南では日本に住む外国人と思われた事もあり、通常の観光客とは違う扱いで受け入れられた気がする。

気がするというのは日本人のマナーの良さが、本当に「心」からきてるのか、それともそれらは表向きだけで、本音は「当たり障りなくしておこう」なのかが、正直最後まで判らなかった。

日本文化とその意味を理解しようとすると、矛盾が邪魔をしその過程が困難になるが、スケートボードで上達する事も実は同じであり、個人が持つエネルギーと自信で、幾つもも障害をクリアして成長せねばいけません。

夜遅く、聖地で有り自転車も走行しないと聞く広島の平和公園近くで、地元のスケーター集団に偶然出くわした。彼らは流れ者の私を歓迎してくれたばかりか、ボードまで貸してくれた。

スケートボードに乗る事で人生観は変わります。哲学がその人の魂に宿るからだと考えます。ある程度、スケートボードに乗ってる人達なら私の意図を理解出来ると信じます。

人種、金銭的背景などは関係無い、下手なジェスチャーも不要。自身の行動により尊敬を得るのだ。

近年は戦地にても、ロングボーディング・フォー・ピースの活動を通じ、人種、性別、思考を超え、人々が繋がっている。スケートボードが大きな力を持ってると言う証明だと思う。

日本。イスラエル、アフガニスタン、何が違うのか?言葉が違ってもいい、アクションだけでも良い、自身の主張を述べる事が大切なのだ。

知らない国であろうが、牛糞の落ちてる農道であろうが、私はスケートボードに乗り続ける大切さをこの旅で再認識した。

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この旅についてもっと詳しく知りたい方は hello@thenout.net 迄メールするか、skate.thenout.netをご覧ください。