世界初のスケートボード・マガジン・エクストリーム
世界初のスケートボード・マガジン
1964年に、世界初のスケートボード・マガジンが発売されて今年でなんと41年になる。(発売当時は「QUARTERLY SKATEBOARD/クオータリー・スケートボード」という名称だったが、現在は「SKATEBOARDER/スケートボーダー」という名前に変わった)
当時の出版者「JOHN SEVERSON/ジョン・センバーソン」は40年以上も前の当時から既に、誰も想像出来ないようなスケートボードの未来をハッキリとしたビジョンとして捕らえていた。
彼は「スケートボードの未来は明るく、マイナーなスポーツで終わったりはしない、ゆくゆくはオリンピックの正式種目になるだろう。確かにスケートボードには歴史は無い、しかし、それはいま君たちによって作られているのだ!」。
彼は1964年当時からフラフープ、フリフビー、ホッピング(有ったね〜っ!)などの流行ものとは違い、スケートボードがプロスポーツとして根付く事を早くから見極めていた。
又、彼は当時のインタビューで「スケートボードはスピードを競う競技ではなく、技術を競うスポーツである」とも述べている。1999年にトニーホークが世界初の「900/空中での2回転半」を決めたが、オリンピックの正式種目にスケートボードがなると早くから口にしてたジョンは、のちにスケートボードのテクニックがスペックの上昇と共に、現在のレベルまで上り詰める事を早くから見えていたのかもしれない。
1965年、「QUARTERLY SKATEBOARD/クオータリー・スケートボード」により紹介されたプールセッション(水を抜いたプールでのライド)では、世界中の人々に初めて乾いたパイプラインを紹介し、のちにこれがスケートボードパークの建設を促した。
現在公開中のスケートボード映画「LORDS OF DOGTOWN ロード・オブ・ドッグタウン」は当時の「QUARTERLY SKATEBOARD/クオータリー・スケートボード」が行なった「Z-BOYS/ジーボーイズ」への取材が原型となってるのだ。余談だがこの当時トニーホークはまだ12歳にも関わらず、「DOGTOWN/ドッグタウン」のスポンサーを受けてたプロライダーだった。
「WARREN BOLSTER/ウォーレン・ボルスター」は1975年〜1978年までの3年間を「SKATEBOARDER MAGAZINE/スケートボーダー・マガジン」の編集者として過ごしたが、最近「CONCRETE WAVE MAGAZINE/コンクリートウェーブ・マガジン」では彼の撮影した数々の写真を元にスケートボードの写真集を発刊、彼の功績を高く評価し、名誉編集者としても迎え入れたばかりだ。